命術(四柱推命、紫微斗数占い、西洋占星術など) 京都の占い師による解説
命術です

四柱推命
四柱推命概略
四柱推命とは、古代中国で生まれた伝統的な命術です。生年・十二節・日と出生時間から四つの柱(年柱、月柱、日柱、時柱)を導き分析する。これによって、その人の性格や運勢を読み解く方法です。
陰陽五行説に基づき客観性が高く、体系的で論理的な占術として支持されている。別名「占術の帝王」。四柱推命を行うには、生年月日と出生時間が必要です。
◎四柱推命の歴史
四柱推命の起源は紀元前14-13世紀年頃の中国 殷代での「甲骨文」と呼ばれる物である。六十干支を使って月日を表していた。
1100年代、南宋の徐居易(徐子平)の書が文献考証的に四柱推命自体の最古となる。そのため、徐子平が命学の祖といわれている。続いて1200年代に徐大升により『淵海子平』(えんかいしへい)という書が著された。1368年頃、明の軍師・政治家であった劉基(劉伯温)が『滴天髄』という書を著したとされている。
日本には江戸時代中期に移入された。文政年間、仙台藩の儒学者桜田虎門が『『淵海子平』の訳本を出したのが、考証的に最古の書である。しかし桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われている。翻訳の質の点では疑問も残るとする評価もある。
四柱推命の基礎理論
十干十二支、暦
十干も十二支も五行を持ち、陰陽を持つ。1年の始まりは立春、月の始まりは二十四節気の中の正節の節入り時刻。ただ1日の始まりについては前日23時とする説と午前0時とする説がある。ただ現状では23時を始まりとする説が優位である。
四柱
四柱推命は生まれた年・十二節・日・時、の四つ干支を柱とし、生まれ持った可能性を推し量る。それぞれ年柱・節柱・日柱・時柱という。出生時間が不明の場合が多いためである。
特に日本では時柱を除外し、三柱推命という方法が多く見られる。だが、四柱推命は年月日時の4つが揃うことが絶対条件である。そのため、中国の原書には三柱推命はまったく見られない。「4つのうち3つわかれば、多少確度が下がるだけ」とは、四柱推命の構成を無視した暴論である。
五行図
五行の相生相尅を論じる場合の五行図は通常、木を上に書く。そこから右回りに、火、土、金、水の順に正五角形の頂点の位置に書く。右回りに五角形を描くようにして結んでいくと、それが生じることを意味する矢印となる。つまり、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じる。また、木から土へ矢印を引き、順繰りに五行を結ぶと、剋(こく)することを意味する矢印となる。つまり、木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、火は金を剋し、金は木を剋する。
通変(天干星)
通変(つうへん)は日干に対し、他の天干と蔵干がどういう意味を持つかを表す用語と言える。比肩、劫財、食神、傷官、偏財、正財、偏官、正官、偏印、印綬の10種類がある。
吉凶の見方
四柱推命では四柱八字の構成から、扶抑、調候、清濁を論じて、扶抑用神、調候用神、病薬用神を見る。そして、吉の作用を持つ用神を出し、用神を軸にして本来の特性や吉凶を判断する。この用神を特に真用神と呼ぶことがある。

紫微斗数占い
紫微斗数(しびとすう、ZiWei DouShu)は命術の一種。唐末から宋の時代にかけての有名な仙人であった陳希夷が創始したと伝えられている。主に生まれた年月日と時間を基にしており、いわゆる命占術の一つ。ところで紫微斗数とは、紫微星(北極星)を中心に、星々から運命を量る斗を意味する。西洋占星術の「ハウス」と同じ概念の「宮」に、暦から算出される星を配置し、その星の吉凶を占う。星の配置にあたっては、天体の実際の位置は考慮されない。
象意と実際の天体(命術)
この命術で着目する星は100個を超え、それらの星は重要度を基準に分類される。また重要度が高いほど実在する天体すなわち起源と名称が同じである。
紫微斗数では特に北斗七星と南斗六星が重要視されている。特に重視される甲級星の大多数はこの2つの星座に起源を持っている。北斗七星と南斗六星、中天を合わせて14星が甲級主星と呼ばれており、重要な働きをする。
特に吉凶の判断と「どのような」象意か告げる判断に用いる。紫微斗数の星々が元の性質を受け継いでいるという事象は太陽と太陰で顕著である。例えば太陽は夜明けに対応する卯宮にあるとき品位が最上の廟となる。また紫微斗数において太陽の象意は「公明正大」が基本である。これは西洋占星術等の実際の太陽のそれと共通する。
従って「紫微斗数で使用する星は『虚星』であって実在しない」などという主張は間違いである。
『封神演義』とのつながり(命術)
原典である『紫微斗数全書』には、『封神演義』とのつながりを推測させる記述は一切ない。しかし星の性格付けを当てた影響で、紫微斗数と封神演義に関連があるとする説を見かける。

宿曜占星術
宿曜占星術とは、インド占星術をベースにした日本の命術。
月の周期(白道)を27の宿と宿道十二宮に分け、月を通して人の性質や吉凶となる日を占う。暦は旧暦で詠む。智慧の菩薩である、文殊菩薩が28の宿をつくり、暦を完成させたと伝えられている。空海がもたらした宿曜経(「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」)を密教徒が研究した。道教の概念も取り入れられており、宿曜経そのものは唐で完成したのではないかと言われる。
作られたのは二十八宿だが、二十七宿で占うことが一般的である。この場合、牛宿を抜いて二十七宿とする。黄道十二宮を配する西洋占星術と、宿曜十二宮を配する宿曜占星術は対照的になっている。
一週間の曜日の語源ともなっている。
この命術をなりわいとするものを宿曜道と呼び、すでにあった陰陽道と勢力を二分した。織田信長も宿曜道を戦に用いたとか、徳川幕府はこれを禁じたとも活用したとも伝えられる。

算命学
算命学は、中国に発祥した干支暦をもとに、年と月と日の干支を出して、人の運命を占う命術。中国陰陽五行を土台とした運命学(命術)の一流派である。伝統を継承しながら日本で学問として大成された。算命術ともいう。なお中国で算命という言葉は「運命を算出する」を意味しており、命理学全般を指す用語である。従って生年月日の干支から人間の運命を推し量る術を算命学と呼ぶのは日本独特である。また算命が命理学全般を指すことから中国語圏で算命館というと日本の占い館を指す。
ところで算命学の技法は、陰陽五行による思想学と占術としての運命学の二つを持つ。運命学理論を命術が証明し、さらに命術の技法を陰陽五行の思想学が支える。そしてこれらを土台として、膨大な理論と技術の上に成り立つものである。
※おまけ 有名な言葉に「天中殺」と言う言葉がありますが、この言葉の発祥は算命学と言われています。
算命学の技法(命術)
算命学には、命を計算し、それを数字に置き換えてエネルギーを計算する技法も含まれる。これを数理法と言い、宿命のエネルギーを数理によって気図八門に配分して判断をする。
算命学の技法は、陰陽五行による思想学と占術としての運命学の二つの理論と技術を持つ。運命学理論を命術が証明する。命術の技法を陰陽五行の思想学が土台として、膨大な理論と技術の上に成り立つものである。
その膨大な技法と思想は十六元法といわれ、こを使うと、先祖子孫三代まで占えるとされる。このうち、四柱推命が使用しているのは「天法・地法」の二法のみである。
算命学思想(命術)
算命学の占術、技法の根幹は、「人」は自然界の一部として、
「人」の運勢を自然界に置き換えて運命を分析する技術、思想の体系にある。
算命学思想は「天」「地」「人」三才と陰陽の思想からなる。「人」の運命は、「役目と環境が一致するところにおいては、自然がその人を必要とする存在となる。役目と環境が一致しないところにおいては、自然はその人を淘汰する」という判断をする。また、この思想によって、人の運命を予測することができるものとする。この運命を予測する肝に当たるものが守護神法である。五行守護神、調和守護神、調候守護神、方位守護神、三神斉美守護神などを使うのが特徴である。
占術としての算命学
算命学では各年・月・日(・時)に干支が割り振られている暦を用いる。甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 を 十干。子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 を 十二支。十干の干と十二支の支で「干支」となる。各人の生年月日から陰占を、そこから陽占(=人体星図)を割り出す。人の性格などを表す十大主星と人生の運命を暗示する十二大従星をみることができる。
手、肩、足の左右はおそらく諸派があって統一されていない。しかし、1つだけある肩は普通向かって右側に配置されるようである。なお、肩は少年期、肩の下の足を壮年期、反対側を晩年期。肩がある方の手を兄弟姉妹・友人、ない方を配偶者と考えれば間違うことはないと思われる。これは、紫微太一を中心に自転軸の動きに従って気の流れを読み取ることが原則である。この原意は、皇帝を国家の象徴とみなす算命学の伝統に則ったものである。皇帝の人体図から国家の命運を判断していた算命学家の伝統を今に伝えてる。
後天運では、十大主星や十二大従星を総合的に判断し、大運では変剋律を見るのが特徴である。算命学では神殺を使用しないで、位相法を重要視している。そもそも算命学は、旺相休囚死の強弱や位相法の立体原理を基本としている。月の潮汐や太陽の運行や季節の巡りを重要視している。時柱・神殺・空亡の解釈において四柱推命との相違が見られる。

西洋占星術
◎西洋占星術の概略(命術)
西洋占星術では、天体が地球に及ぼす効果を研究する占星術の体系について述べる。西洋の占星術は、天体は一定の影響をもたらすマクロコスモスとミクロコスモスの照応に。一般的に、占う対象に影響を及ぼすとされる諸天体が、出生時などの年月日と時刻にどの位置にあるかをホロスコープに描き出し、それを解釈する形で占う。
用いられる黄道十二宮の概念は、初期メソポタミア文明に起源を持ち、ヘレニズム時代にギリシャ人が採用し、ローマ人に受け継がれた。占星術は古代から、天体の位置を測定して計算し宇宙の体系の仮説を作る天文学(羅:astronomia、星々の法則)とともに行われ、惑星の位置の精緻な計算を必要とする占星術という実践が、天文学を推進する最大の力だった。
西洋占星術の起源
西洋占星術は、天体の動きや位置を基に人間の性格や運命を読み解く占術である。古代バビロニアやエジプトを起源とし、約4000年もの歴史を持つ占術体系となっている。ところで西洋占星術とは、太陽や月、惑星などの天体の動きと位置関係から、人の性格や運命を読む体系のことである。さらに子どもが生まれた瞬間の天体配置(ホロスコープ)を基に、その人の気質や人生の傾向を読み解いていく。
西洋占星術の科学史などでは疑似科学に分類されるのが一般的であり、科学的な議論の枠組みをすでに外れているともいえる。科学的な実証研究はほとんど存在しない。人間の理性を重んじる現代の西洋社会において、中世の迷信と嘲笑されながらも人気を保ち続け、現代日本で浸透している占いの中でもポピュラーであり、生活の中に幅広く用いられ一定の社会的存在感を得ている。英語圏には1万人以上の占星術師がおり、2,000万人以上の顧客がいる。現代の占星術では、ホロスコープを作るための計算にコンピュータが用いられている。
西洋占星術の歴史
バビロニア(命術)
西洋占星術の起源はバビロニアにあった。バビロニアでは、紀元前2千年紀に天の星々と神々を結びつけることが行われ、天の徴(しるし)が地上の出来事の前兆を示すという考えも生まれた。
『エヌーマ・アヌ・エンリル(英語版)』(Enuma Anu Enlil、紀元前1000年ごろ)はそうした前兆をまとめたものである。ただし、当時前兆と結びつけられていた出来事は、君主や国家に関わる物事ばかりで、その読み取りも星位を描いて占うものではなく、星にこめた象徴的な意味(火星は軍神ネルガルに対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかった。
現代にも引き継がれている星位図を描く占星術は、天文学が発達し、惑星の運行に関する知識が蓄積していった紀元前1千年紀半ば以降になって興った
エジプト(命術)
古代ギリシャやローマの著述家たちは、占星術をしばしばカルデア人とエジプト人がもたらしたものとして叙述している。
確かに、紀元前4200年の星図をともなうエジプトの占星術の歴史は古い。エジプト人の占星術は、太陽とシリウスの組み合わせが主役になっている。それが、エジプトに肥沃さと活力をもたらしてくれるナイル川の氾濫を予言するものとされた。
しかし、西洋占星術に直接関わるような概念の発達には、エジプト占星術はほとんど寄与していない。「エジプト起源」がかつて語られたのは、アレクサンドロス3世(大王)の征服以後、ヘレニズム文化圏に組み込まれていたエジプト(特にアレキサンドリア)で、占星術が発達したことによって生じた誤伝らしく、正しくはヘレニズム時代における寄与と位置づけられるべきである。
ギリシャ(命術)
紀元前332年にアレキサンダー大王によって占領されたあと、エジプトはギリシャの支配下にあった。そして、ヘレニズム文化が栄える中で、初めて本格的にホロスコープを用いる占星術が現れた。出生時における星々の位置から個人の星位図をトレースする試みが普及した。ホロスコープの普及は、春分点歳差の発見者とされるヒッパルコス(紀元前2世紀)以降のことである。
ギリシャがローマ帝国の支配下に入った後も、ギリシャ人たちによって占星術は発達を遂げた。ローマでもマルクス・マニリウスの『アストロノミカ』(西暦1世紀)などが現れたが、西洋のホロスコープ占星術の発展において特に重要だったのは、天文学者・占星術師クラウディオス・プトレマイオスの貢献である。天文学と占星術が未分化だった時代にあって、彼の天文学書『アルマゲスト』とともに、占星術書『テトラビブロス(英語版)』(四つの書)は、その後の西洋占星術の伝統における基盤となった。ギリシャ人(特にプトレマイオス)のもとで、惑星(太陽、月も含む)、ハウス、十二宮などが合理化され、それらの機能も策定された
アラブ・イスラム世界(命術)
ヘレニズム時代に体系化されたシステムは、ほとんどそのままアラブ・ペルシャなどのイスラム世界の占星術師たちに引き継がれた。ダマスカスとバグダードにあった彼らの研究拠点では、ヨーロッパが忘れていた天文学、占星術、数学、医学などのギリシャ語の古典がアラビア語に翻訳され、大いに発展を遂げた。彼らの知識はヨーロッパに逆輸入され、ルネサンスの開始を助けた。
アラブの占星術師たちのなかでは、占星術以外の翻訳でも大いに功があったアル=キンディー(アルキンドゥス)と、その弟子筋にあたるアブー=マーシャル(英語版)(アルブマサル)が特に重要である。
近代(命術)
17世紀後半、理性の啓発によって人間の進歩や改善を図り、超自然的な偏見を取り除いて、人間の持つ理性の自立を促すことを重視する、啓蒙思想がイギリスで興ると、天文学や自然科学の発展と同じく、占星術に対する「逆風」となった。天文学と分離した占星術は、科学の台頭で時代遅れの物笑いの種になっており、古代からの名声を完全に失っていた。しかし消滅することはなく、占星術による天気予報や予知が含まれる生活暦(アルマナック)は、相変わらず多数の支持が寄せられていた。「学問」としての占星術は否定されたが、一般大衆においては生き延びていった。
オカルティズムと占星術
19世紀後半に、近代オカルティズムが勃興すると、占星術もその潮流に乗ることになった。近代オカルティズムの盛り上がりとともに、秘教的な衣をまとうことで、それまでとは別のものに変化した。なかでも、神秘的直感、幻視、啓示などを通じて、神と結びつく神聖な叡智を獲得することで、高度な認識に達することを標榜する近代神智学(以下「神智学」)の影響が大きかった。神智学は、馬鹿にされたり無視されていたさまざまなオカルトをその体系に取り組み、後期ヴィクトリア朝の教養人たちの注目を集めた。
神智学協会の神智学運動は、19世紀末を代表する文化運動のひとつであり、その衝撃は、さらに20世紀初頭のモダニズム誕生から、1960年代のカウンターカルチャー、20世紀末に始まるニューエイジと精神世界(現在のスピリチュアル)を理解していくうえで、「鍵」となる存在である。欧米文化の秘教主義、神秘主義、オカルト主義の趨勢が一群となったこの運動を、秘教的音楽史家ジョスリン・ゴドウィン(英語版)は「神智学的啓蒙」と表現した。
現代(命術)
こうして復活もしくは改革された占星術と、伝統的な占星術との違いは、その意識的な混合主義にあることが指摘されている。
実践者の間でも、占星術の方向性については多様な意見がある。「科学的学問」にしたいと望む占星術師は、オカルト要素の強い占星術を、占星術を呪術やオカルトにとどめていると批判している。彼らのなかには19世紀科学の言語を取り入れたり、統計学の言い回しを使って、自分たちの分野と魔術の分野の違いを強調し、「精神科学」「占星術の科学的基礎」あるいは「星座と人間行動とが関係していることの科学的証拠」などについて書いた者もいた。彼らは反対に、その考えに賛同しない占星術師たちから、占星術を疑似科学にしていると批判されており、思想の異なる占星術師同士で批判し合っている。
自分たちの思想が、薔薇十字団、フリーメイソンあるいはエジプトの神秘主義とつながっていると主張する占星術師もおり、彼らの多くは、たとえばヒンドゥー教や仏教などの東洋の宗致から知恵を拝借している。
占星術の未来
予測不可能で複雑な現代産業社会において、占星術は、生の意味を見失った一般市民に出来事が制御可能であると感じさせ、予測可能で意味のある体系、大きな物語の中に己が存在するという感覚を与え、生活に宇宙的な意義を感じさせるという側面がある。
特にアメリカでは、新聞、雑誌の占星術コーナーをはじめ、メディアで多く取り上げられ、「学術理論」としての有効性を失った代わりに、人気のあるサブカルチャーのひとつとなっている。世論調査では、占星術の人気は衰えるどころか増しているが、一般には、個人のパーソナリティに関する十二星座と、占い目的での占星術の使用という、西洋占星術のごくわずかな面だけが知られている。
ホロスコープを作るのにコンピューターが利用され、これが人気に拍車をかけている。コンピュータを使ってホロスコープを作成する理由は、時間節約だけではなく、自分の予言にハイテクの威光を与えるためでもあると指摘されている。
西洋占星術の理論(命術)
十二宮(命術)
十二宮は黄道を12に分割して得られた区画である。占星術師たちは、それぞれの宮と、それが持つ意味について注記している。一般的な西洋占星術では、天の赤道と黄道の東側の交点である春分点から、十二宮の起点である白羊宮を始めるトロピカル方式を採用している。
サイン(命術)
サイン(英語: sign)またはアストロロジカル・サイン(英語: astrological sign)は、西洋占星術などのホロスコープを用いる占星術において、黄道帯(または、獣帯)を黄経で12等分したそれぞれの領域。黄道帯(zodiac)とは、天球上の黄道を中心とした、惑星(太陽・月などを含む)が運行する帯状の領域である。サインは古くは宮(きゅう)と呼ばれていた。12のサインを合わせて十二宮や黄道十二宮と言う。ゾディアック・サイン(zodiac sign)とも呼ばれる。
惑星(命術)
近代の西洋占星術では、「惑星」は人間の精神の中の基底的な原動力ないし衝動を表す。これらの「惑星」は天文学の定義と異なり、太陽、月、そして2006年に惑星から降格された冥王星なども包含する概念である。それぞれの惑星は、サインと惑星の類似性ないし共感性を基盤として、十二宮のうちの1つないし2つのサインの守護星であるとされる。逆に言えば、占星術において惑星とはサインの守護星としての性質を持つものであり、ほかは天体ないし星ではあっても惑星ではない(とはいえ、サインの守護星とは何であるかと問うならば、惑星に対するこの定義は循環論法の可能性がある)。近代以降に発見された3つの惑星も、占星術師たちによって支配するサインを割り当てられている。
ホロスコープ(命術)
西洋占星術は、おもにホロスコープの作成に基礎を置いている。ホロスコープは、ある特定時点の天の「チャート」を表した図である。選ばれる「時」は、ホロスコープの主題となる存在の始点(人物であれば生まれたとき)である。これは、主題となる存在は、その生涯を通じて、始点における天のパターンを引きずると考えられているからである。
理論上、ホロスコープは企業の創設から国家の樹立に至るまで分析の対象としうるが、もっとも一般的なのは、個人の誕生時を基礎とする出生図(natal chart)である。
ハウス(命術)
ホロスコープは占星術師たちによって12に分割され、ハウスと呼ばれる。黄道をハウスに分割する方法は多様である。日本では室、舎、位などと訳される。ホロスコープにおけるハウスは、人生や活動の12の異なる範囲として解釈されている。

インド占星術
◎インド占星術の概要(命術)
インド占星術は、インドに伝わる占星術のこと(命術)。インド本国の他、ネパールやチベットなど周辺の地域でも行われている。 もともと、白道上の月の位置に着目したナクシャトラ(中国系暦法・占星術では二十七宿という)を用いた占星術だった。
しかし、ヘレニズム時代にギリシアから太陽と月、5惑星とラーフ、ケートゥといった九曜、十二宮と十二室に基づくホロスコープ方式の占星術を取り入れて、現在のナクシャトラ(白道二十七宿)と黄道十二宮を併用した形になったと言われているが、古い時代のことなのではっきりしたことはわかっていない。
また仏教に取り入れられたものは、簡略化(月の厳密な度数で決めず、1日に1つというように割り当てる)・仏教化し 『宿曜経』 にまとめられ、密教の一部として中国に伝えられた。さらに、平安時代には日本にも伝えられて宿曜道となった。
インド占星術の特徴(命術)
基本的には西洋占星術に似てはいるが、インド占星術独自の技法を用いる。
まず最初に、宮についてはインド占星術はある天体座標を基準点に固定しそこから30度ずつ12分割するが、西洋占星術は春分点を基準に12分割しているため地球の歳差運動により黄道を移動するので、その結果惑星の在住する星座(サイン)が異なることが多い。そのずれの度数をアヤナムシャと呼ぶ。
ハウス重視(命術)
基本的に室(ハウス)の意味が宮(サイン)より重視されている。西洋占星術の春分点は74年に1度、春分点が西に移動するのに伴って移動するので、西洋占星術とインド占星術では惑星が在住する宮が違うことがある。また大部分のインド占星術がハウス(室)システムにイコールハウス(室は30度固定、アセンダントがある星座を1室とし、第一室の宮の境を第一室の境とみなして扱うこと)を使う。惑星はその在住する室とその惑星が支配する室、アスペクトを形成する惑星の影響を強く受ける。たとえば支配宮の象意を在住室の象意の表す事象にもたらす、というように解釈される。 その惑星が在住する室や宮によって、影響力の強弱が変化することもある。ただし強弱と吉凶は必ずしも同じでない。
ホロスコープのチャートは、17世紀までのヨーロッパの西洋占星術と同じく方形に描かれる。 また、第1室を左側に描く方式の他に上に描く方式などもある。(インドの各地方により東・西・南・北で4方式ある模様) 個々のハウスは、正方形で描く南インド式(中国の一部の占星術と同様)と、三角形と菱形とで描く北インド式の二種類が主流。

数秘術について
数秘術(すうひじゅつ、英: Numerology)は、数字で運勢を占う命術。東洋占星術では風水や姓名判断で占う方法が代表的であり、西洋占星術ではピタゴラス式・カバラ・ゲマトリアなどが代表的である。数秘学ともいう。
東洋占星術では風水や姓名判断を用いて占う。風水では8が最大吉数であり、他には15・24・31・32・52が最大吉数である。世界規模では168・358が最大吉数とされている。
(ただし東洋占術における数秘術は、五行思想を重視した姓名判断などにおける判断では五行についての考慮(四柱推命や紫微斗数等における先天命式との相性)も必要である。一般的な吉数であってもその数字を使用する者の先天命式との相性次第では吉とはならない場合もあるため注意が必要)。
「8」は無限大「∞」を意味し、最高の吉数とされている。八卦は古代中国から伝わる易経における8つの基本図像であり、九星では中央を除いた方位の合計は8方位となる。日本でも八百万の神・八咫鏡・八咫烏など8は重要な数字とされている習わしが存在する。

姓名判断について
姓名判断 (せいめいはんだん)とは、 数秘術 の1つであり、命術である。人の 姓名 からその人の性格や人生の趨勢、適職、恋愛の傾向、結婚運・家庭運、かかりやすい病気など、一般に運勢として総称される事柄について解釈を与える手法の一つ。
日本 では伝統的に、人の姓名で使用する文字の 画数 から5つの格数を算出し、それらに与えられた伝統的・経験的な解釈に基づいて解釈を行うものが主流を占める。
姓名判断は古代中国の陰陽五行説という哲学的思想に端を発しているが、近代では各人の実際の人生や運勢を検証したうえで、5運の画数と照らし合わせて画数の意味に修正を加えるというデータ重視の考え方が主流となっており、占いから統計学的なものへと変貌を遂げている。
科学的根拠が示されているわけではないが、名前が運勢を左右する理由として、名前から本人や他人が受ける印象がその人の人生の傾向に影響を及ぼしているのではないかといった幾つかの説がある。

許波多神社について
許波多神社(こはたじんじゃ)は、京都府宇治市にある神社である。式内社(名神大社)「許波多神社」の比定社である。宇治市内には許波多神社という名前の神社が木幡と五ケ庄の隣接する2つの地区にあり、それぞれに社伝を伝える。旧称柳大明神。
延喜式神名帳では名神大社に列する。大海人皇子(後の天武天皇)や坂上田村麻呂が戦勝を祈願したと伝えられ、勝運を授かる神社として信仰されている。どちらの許波多神社も天忍穂耳命が祭神である。式内社で天忍穂耳命を祭神とする神社は許波多神社だけであることから、鎌倉時代の『釈日本紀』には「許波多神社に座す神は宗廟の神として、他と異にして尊崇すべきである」と記されている。永禄12年(1569年)には最高位の正一位の神階を受けた。戦後、どちらも神社本庁に加盟せず神社本教に加盟している。
戦国時代、戦火により社殿のほとんどを焼失し、古伝も失われた。
五ヶ庄の許波多神社
天忍穂耳命のほか瓊々杵尊、神日本磐余彦尊(神武天皇)を祀る。
社伝では、大化元年(645年)、蘇我倉山田石川麻呂の奏上により、孝徳天皇が中臣鎌足に命じて、皇祖を祀る神殿を山背国菟道郡許畑(やましろのくにうじぐんこはた)、柳山(やなぎやま)に造営させたのに始まると伝えられる。柳山の地に社殿があったことから、後に「柳大明神」と呼ばれるようになり、江戸時代までは「柳神社」を正式の社名としていた。明治時代、陸軍宇治火薬製造所(現 陸上自衛隊宇治駐屯地)の建設のため社地全体が官有地として召し上げられ、当社は御旅所であった現在地に遷座し、その際に社名を旧称の許波多神社に改称した。
平安時代後期の作とされる男女一対(馬頭天王・弁財天)の神像が伝わるが、これは附属の寺で祀られていたものである。本殿には、鎌倉時代の作とされる天忍穂耳命の神像が祀られている。
かつて、社殿より続く東西2町の馬場道で競馬(くらべうま)の神事が行われていたと考えられ、「競馬発祥の神社」とされている。社宝として今に残る平安時代の鐙(あぶみ)は重要文化財に指定されている。ほかにも、馬頭天王の神像があることから、「馬の神社」として競馬ファンや競馬関係者の信仰を集めている。

