相術・方位術(手相、奇門遁甲、動物占い)など 京都の占い師による解説
仕上げは相術です

手相術(相術)(相術など)
手相は、手の平に現れる線(掌線)や肉付きをはじめとする手の形態に着目して、その人の性格や才能資質、健康状態、運勢の良否を判断する占い。また相(外見的な特徴)に意味付けを行うことで体系付けられたもののうち、手に関する相を扱う言説。
◎東洋手相術と日本
手相は、ところで手の平に現れる線(掌線)や肉付きをはじめとする手の形態に着目して、その人の性格や才能資質、健康状態、運勢の良否を判断する占い。または相(外見的な特徴)に意味付けを行うことで体系付けられたもののうち、手に関する相を扱う言説。ところで手相は古代インドが源流の古い占いである。仏教とともに手相占いがインドから中国に伝わりさらに東洋の易学を取り入れて発達したものが日本に伝わった。
西洋手相術と日本
一方、古代インドから中近東へわたり、ヨーロッパや北アメリカにも伝わった。ジプシーたちがギリシャ・ローマを経て伝えたのが西洋手相学となった。そして、アジア大陸に伝えられたのが東洋手相学と言われている。しかし、西洋手相学はカトリックの教えに反するという理由で弾圧を受けた。
本格的に相術がヨーロッパに普及したのは19世紀です。 フランスの手相家デバロールとダルパンチーニがあらわれ「西洋手相学」の基礎を作りました。その後、英国の手相術研究家キローが登場した。彼は著名人の手相を占い、ズバリ的中させたことで、人気者になった。さらに1894年に発行した手相占いの本「手の言葉」が世界に革命を起こした。 そのため、キローは近代手相学・相術の元祖と呼ばれている。
キローの西洋手相学が日本に紹介されたのは、明治時代末期~大正初期のことである。中国式手相占いが主流だった日本の手相術が、キローにより新しいスタイルに変わった。そして現在では、日本の手相は西洋手相学が元になっている。
手相術のポイント(相術など)
手は人体の器官のうちでもその人の在り様を示す象徴的なものとして扱われることも多く、たとえば『イワンのばか』でイワンの妹が手から相手の人物像を読み取ったように、手の様相からその人の人となりに関する情報が得られると考える者は多い。これを更に押し進めて、着目する形質とその意味づけを体系化したのが手相術である。ただし、手に見られる個々の形質に対してその解釈・意味づけがどのような経緯で得られたものかについて論じた文献はみられない。実際に運勢の観察によるか、神秘主義的な価値観によるかはあまり区別されていない。
手相を構成する要素の多くは数日というような短期間で変化するものではなく、また掌線の現れ方をその人の生涯での状況変化に対応させて解釈するものがある。そのため、手相を使った占いは数年、数十年といった長期的時間単位の視点に立つものが多い。その結果占いの内容には人生に関わる事柄(寿命や健康、進路や職業・結婚など)やその人の生まれ持った気質への言及が多い。逆に手相術に関して、「今日の運勢」のような短期的視野に立つものはほとんど見られない。韓国などで手相整形外科手術を行う美容外科がある。だが手相整形をして運勢を変える事は自然な手の動きで作られた手相でないので運勢が良くならないとする占い師がいる。
主な観察項目(相術など)
- 掌線
- 丘
- 手の形
- 指の形
- 指の長さ
- 爪の形
- 色合い
- 曲がりやすさ
観相と書籍・文献(相術など)
手相術に関する書籍は数多く出版されている。言及している事項の多寡やその内容の深さは様々である。だが、平易なものでは注目する手の特徴を個別に取り上げ、それぞれ図示して、当てはめやすいよう直截的な解釈を述べているものもある。これを用いれば特殊な才能を持たない一般人にも比較的容易に観相を行うことが出来るため、大衆にも親しまれている。
手相術は、それら手のしわや膨らみなど複数の特徴から総合的に結論付ける部分もある。そのため全体的に見るには総合的な知識を必要とする。その場合においては、掌と手の甲、指の具合、主要とみなされる線の全体的な印象から入る。更にその細部を観察することで行われる。
いわゆる「辻手相術占い」のように専門化されサービス業態として成立する分野でも、手相を占いの手段とする者もいる。これらでは占いの手法としてなのか、それとも一種の理知的な人生相談の会話の糸口に手相術を口実としているのかは一概には言えないが、繁華街でもしばしば店を出す流しの手相術見がみられる。

風水(相術)(相術など)
中国での風水
風水の起源は殷・周時代(紀元前10世紀以前)の「卜宅」にあるとされる。これは宅地や村落の吉凶を占うもので、後の「陽宅風水」の基礎となった。一方、晋(紀元後3世紀)の時代には郭璞の撰による『葬書』が成立し、「風水」の語が誕生するとともに、後の「陰宅風水」の基礎となった。「風水」の思想は唐代(7世紀頃)に非常に盛んになった。さらに、陰陽説や五行説が取り入れられ、唐代末(9世紀)には形成学派(巒頭)が誕生する。さらに、宋代(11世紀)には羅盤をもって吉凶を占う方位学派(理気)が誕生する。明・清時代になると両者の区別はあいまいになり、羅盤を扱う技術もより発展して現在の「風水」となった。
日本での風水
上記のとおり、中国での風水理論の完成は宋から明代である。だが、それ以前の飛鳥・奈良時代に日本に伝わった理論が独自の発展を遂げた。特にそれは陰陽道や家相として発展した。平城京・平安京の立地が風水に則っているとされる。だが、その当時採用された「四神相応」は、四神の方角が固定化されているなど、すでに日本独自の理論となっていたものであり、現代的な「風水」とは全く関係が無いことに留意すべきである。
江戸の建設に関わった人物が風水に通じていた、もしくは採用したという文献は存在しない。あえて言うならば陰陽道や宿曜道などの影響が想像できる。
尋常小学校の教科書には「卜筮、御鬮、人相、家相、鬼門、方位、九星、墨色等を信ぜぬこと」とあった。
日本では「風水」の語が現代までほとんど知られず、目崎茂和は「風水の無い風土」と表現していた。しかし、1994年に荒俣宏の『風水先生』が刊行され、風水が大きなブームとなり、その概念が広く知られるようになった。

トルココーヒー占い(相術)(相術など)
これはトルコで盛んに行われており、無形文化遺産にも指定されている名誉ある占いです。ちなみにトルコ語では「テュルク・カフヴェスィ(Türk Kahvesi)」です。自分の飲んだコーヒーに残っていたかすの模様を見て占うと言う占いは難しそうな占いです。そのおかげでコーヒー自体は濃い口で入れられてきます。苦いようであれば砂糖を入れても構いません。こうして飲んだコーヒーの残りかすの模様を専門の占い師が見て未来を占います。トルコに旅行に行った際にはぜひお試しあれ。

奇門遁甲(方位術)(相術など)
概略(相術など)
奇門遁甲は、中国の占術。「式占」の一種である。「六壬式」「太乙式」と合わせて「三式」の一つであり、遁甲式(とんこうしき)とも呼ばれる。奇門遁甲の創始伝説によると黄帝が蚩尤と戦っていた時に天帝から授けられたとされる。奇門遁甲を解説した詩賦である煙波釣叟賦では周の呂尚や前漢の張良によって作盤方法の整理が行われたとされる。三国時代の蜀の諸葛亮なども用いたとされるが、これは稗史小説の域を出ない。紀昀の『閲微草堂筆記』によれば、奇門遁甲の真伝は呪術の要素も含んでいたようである。
二十四節気や干支から算出される遁甲局数を基にして遁甲盤を作成して占う。このとき奇門遁甲用の式盤を使用することがある。遁甲盤の構成要素の一つである八門を重要視することから八門遁甲とも呼ばれる。
奇門遁甲について解説した最古の文献は、中国唐代に李筌によって編纂された張良の口訣を伝えるとされる『陰符経註』や、兵書の『神機制敵太白陰經』(以下、『太白陰経』)に付けられた『巻九遁甲』である。太白陰経の『巻九遁甲』では月将の名に『徴明』が見えるが、これは北宋の仁宗以前に使用されていたものである。また時刻の呼び方においても「夜半」「鶏鳴」といった十二時辰が採用されている。これらから『太白陰経遁甲巻』は、古い時代の記憶を伝えていると推測できる。また李筌の合理主義と矛盾せず、執筆当初から存在しており後世の付加ではないとしている。
中国での奇門遁甲(相術など)
中国の奇門遁甲についての文献は、隋代の著作である『五行大義』に遁甲盤の解説が出てくる。だが作盤方法を含めて全体的に解説されている文献として遡ることができるのは唐代までである。刊本ではあるが唐代の兵書である『神機制敵太白陰経』の奇門遁甲と、民国年代の版に基づき校訂された『四庫全書』収録の『遁甲演義』の奇門遁甲を比較すると、その違いは時盤のみか年月日時の四盤を備えているかくらいである。
従って奇門遁甲は唐代にはほぼ時盤のみである。だが現代と同じ奇門遁甲があったと推測できる。ここでは『四庫全書』に収録されている『遁甲演義』を例に、中国での奇門遁甲理解の基礎となっている文献における奇門遁甲を解説する。『遁甲演義』については『中國方術外觀式法巻上下』を底本とした。だが本書は簡体字で記述されているため、日本で一般的に使用されている文字に変更した。なお、標準的な遁甲書には『奇門遁甲全書』、『奇門遁甲統宗大全』等も存在する。
日本での奇門遁甲(相術など)
西暦602年(推古10年10月)、百済の僧観勒が天文、遁甲、暦書を伝えたのが最初(『日本書紀』)の記録である。民間ベースではそれ以前にも色々な種類のものが伝来していた可能性がある。
隋の文帝のとき(581年-604年)行政上、軍事上の理由から発禁された。それにならい日本でも「養老令」(職制律、雑令)で禁じた(太一、遁甲)(制定718年、施行757年)。 戦国時代には、日本の風土に合わせて改変された奇門遁甲ないし八門遁甲が生み出された。これらは軍配者とよばれた軍師によって使用された。現代にも甲州流などの日本独自の奇門遁甲が伝わっている。そのうち作盤方法のいくつかは公開されている。近世、江戸時代には明代・清代の遁甲書が多数輸入されて研究の対象となった。

九星術(方位術)(相術など)
九星術(きゅうせいじゅつ)は、古代中国の陰陽五行説に基づく占術である。九つの星を用いて運勢や性格を占う方法です。古代中国の陰陽五行説を基にした占術です。特に生年月日や方位を用いて人々の性格や運勢を分析します。要するに九星によって運勢や物事の吉凶を判断する術である。なお、九星方位気学とは別物である。

九星方位気学(方位学)(相術など)
九星気学とは、生れた年月日の九星と干支、五行を組合わせた占術。方位の吉凶を知るために使われることが多い。九星術を元に明治42年に園田真次郎が気学としてまとめたものと、それ以前の九星術と合わせて九星気学と総称される。生年月日によって定まる九星と十二支と、方位の吉凶を知りたい日の九星と十二支を元に占う。九星と十二支は年・月・日・時のそれぞれにある。だが、このうち年と月が運勢に大きく関係するとされる。また、生年によって定まる九星を本命星、生まれ月によって定まる九星を月命星という。九星はある決まった法則で各方位を巡回することになっている。生年月日によって定まる九星と十二支との関係で各方位の吉凶を占う。
九星とは?
以下をいう。
- 一白水星
- 二黒土星
- 三碧木星
- 四緑木星
- 五黄土星
- 六白金星
- 七赤金星
- 八白土星
- 九紫火星
ただし中国占術において「九星」と総称されるものは多岐にわたっており、他の九星と区別する必要がある場合は紫白九星と呼ぶ。これは園田気学では否定されたが、九星術の古形では三つの白の星である、一白、六白、八白を大吉とし、九紫を中吉としたことにちなんでいる。
なお五黄は大凶の星であり、五黄と相対する方位も凶とされる。

動物占い(その他)(相術など)
動物キャラ占いは、動物をシンボルとして使用した占いです。ところでそれぞれ動物には特徴や性質がある。しかし動物キャラ占いでは、それに当てはめて人間の性格や運勢を占うことができる。
例えば、一般的に黒ひょうは独立性や冷静さを表し、ライオンはパワーやリーダーシップを表すように、動物キャラ占いでは、古代の中国から伝わる四柱推命をもとにした十二運を12種類の動物に当てはめ、十干を「どんな性格か」の形容詞に置き換えている。
それら60パターンの分類をつくり、人々の生年月日からどの動物キャラに当てはまるかを診断している。しかしその占い結果は「よく当たる」と評判を生み、現代でも多くの人が利用している。

ダウジング(その他)(相術など)
旧約聖書のアロンの杖に見られるように、古代から多くの文明で木の枝は神の意志を行う道具と見なされていた。木の枝を使った占いは古代ギリシアや古代ローマ、北ヨーロッパの諸民族で行われていた。
中世のヨーロッパでも、力を加えていない状態で手にした枝が勝手に動くを現象を見る棒占いが、宝探し、水脈・鉱脈の発見などに使われ、犯罪捜査の証拠として認められる地域もあった。15世紀のバシリウス・ヴァレンティヌスは、今日的なダウジングの方法に最初に言及した。当時のキリスト教会では棒占いを迷信として否定していた。しかしルネサンス期以後にはアタナシウス・キルヒャーなどが実証実験を試みた。その上で一定の効果がある、もしくは全く無いと判断する人々が現れるようになった。
18世紀以降には科学者による検証実験が何度も行われた。棒占いは筋肉の無意識な運動として科学界からは懐疑的に見られている。しかし、水脈と鉱脈の発見に関しては、近代に入っても棒占いが廃れることはなかった。

ペンデュラム占い(その他)(相術など)
ペンデュラム占い(振り子占い)は、紐やチェーンの先に付けた重り(ペンデュラム)を使い、質問への答えを探るためにその動きを観察する占いです。振り子を使った占いや探し物の歴史は古代までさかのぼり、18世紀以降さらに広まりました。今では、古代の知恵と現代のエネルギーの考え方が融合した方法として世界中で親しまれています。このシンプルな道具は、「イエス」「ノー」の二択から、もっと複雑な質問まで幅広く使えます。しかし、あまりに複雑なものを占うのは苦手です。
振り子占いができるのは、人間の潜在意識や無意識の動きが振り子に反映されるからです。集中すると、無意識の微細な身体の動きが振り子を揺らす。そしてそれを読み取ることで質問への答えが見えてきます。このプロセスは、内面の直感や感覚を形にするようなものと言えるでしょう。占いの結果は使用者の潜在意識や直感に左右されるため、個人的な解釈が大きく影響します。
これは、直感や第六感を形にし、自分自身の真の願いや方向性を明らかにするのに役立ちます。また、その使い方の簡便さも人気のひとつで、どこでも手軽に使用できる点が魅力です。
パワーストーンをペンデュラムの重りとして使用する理由は、その石が持つ特有のエネルギーにあります。多くの人々は、特定のパワーストーンが持つ自然の力が精度を高め、より深い洞察を可能にすると信じています。例えば、水晶は普遍的なエネルギーを持ち、直感を高めるとされており、ダウジングに適しているとされます。

スクライング(水晶占い等)(その他)(相術など)
スクライング(またはスクライイング) は、何らかの物体や物理現象を見つめることにより、眼に入った物理的光に対応しない視覚イメージ、すなわち幻視を得る技法の総称である。
古くから占いの方法として用いられている。儀式魔術では霊的存在の姿を確認したりアストラル界のヴィジョンを得るなどの用途がある。水晶、ガラス、水など、ある種の光学特性をもつ物体が使用されることが多い。水晶球を用いた方法は特によく知られている。クリスタルゲイジング (水晶球観照とも訳される) または水晶占いと呼ばれる。
現代の儀式魔術やウィッチクラフトでは、円形ガラスの裏面を黒く塗ったものを魔法鏡と称して使用することが多い。また、黄金の夜明け団の文書では、タットヴァなどの象徴的図形を観想して幻視を得る手法もスクライングと呼ばれている。

マヤ暦占い(その他)(相術など)
◎マヤ暦とは?
マヤ暦は、先コロンブス期のメソアメリカ、及びグアテマラの高地やメキシコの一部などの中央アメリカ各地の文明地域(マヤ文明)で使用されていた暦法である。ところで本質は、これらの地域で紀元前5世紀から使用されていたと考えられている。それは古くはサポテカ文明やオルメカ文明などのメソアメリカ初期から、以降はミシュテカやアステカ暦など、多くの面で共有されていた。さらに植民地時代の文献や、伝承によれば、神イツァムナーがマヤ文化をもたらしたとして登場する。
マヤ暦の概要
マヤ暦には、周期や日数が異なるいくつかの種類の暦法がある。例えば1周期が260日のものは、研究者の間では「ツォルキン」と呼ばれている暦法である。ツォルキンは干支と同様に、20日周期と13日周期という独立した2つの周期が組み合わさって260を数える。これと「ハアブ」として知られている1周期が365日(20日×18か月+5日×1か月)の太陽暦に近い暦法の組み合わせによって、カレンダー・ラウンドと呼ばれる1周期が52年(18,980日)の暦法を形成している。
このカレンダー・ラウンドは、グアテマラの高原の多くの集落などでは現代に至るまで使用されている。ハアブには閏年はなく、季節と月日は年々ずれていく。より長期間に渡る出来事を表したり、碑文で日付を示す(すなわち、ある行事がいつ発生したかを表す)ためには、別の種類の暦法が使われる。これを長期暦といい、マヤ暦の中では最も一般的な種類の暦法である。またこの暦法は、神話上の最初の日からの日数をも意味している。
マヤ数字のシステムは、基本的には二十進法で成り立っている。各単位は、そのひとつ下の単位の20倍を表す。重要な例外は、二つめの単位が20×20=400日でなく、太陽暦の1年に近い18×20=360日になっていることである。しかしながら、長期暦の周期は太陽年とは無関係であることに注意する必要がある。
ツォルキン
ツォルキン(tzolk’in:正書法、またはtzolkin:ユカテコ語表記)は、マヤニスト(マヤ文明の研究者)によって命名された。1周期が260日の暦法である。ユカテコ語で「日付」を意味する語にもとづいた造語で「ツォルキン」という単語自体はある。いくつかある呼び名のうち、当時のマヤ族がどの名称を使用していたのかについては、依然として学者による議論の対象となっている。しかし、慣用的にはユカテコ語による読みが用いられている。
ツォルキンは宗教的な儀式・行事や占いなどの時間を決定するために使用される暦法である。13日の数字と20日間の名前を組み合わせて260のユニークな日を形成している。それぞれの日は1から13まで続き、1周期で再び1に戻る。これとは別に20日間の名前のリストから順番に名前が付けられ、13×20で260日で1周期の暦が形成される。
ハアプ暦
ハアブ暦は、1ヶ月が20日の18の月と、「ワイェブ」と呼ばれる年末に付け足される5日間の日で構成されている。ワイェブの5日間は、当時では不吉な日だと考えられていた。フォスターは2002年、「ワイェブの期間中、人間界と地底の間のポータルは解散した。境界線は、悪霊が災害を引き起こすことを妨げなかった。」と記した。悪霊を避けるため、マヤ暦を使用する地域などでは、ワイェブの期間中に独自の習慣と儀式を行っていた。その一例としては、人々は家を離れる事や、髪を洗ったり櫛をかけたりする事を避けていた事などが挙げられる。1982年にブリッカーは、ハアブは紀元前550年頃から、冬至の出発点として使用されるようになったと推定している[注 33]。
カレンダー・ラウンド
ツォルキンとハアブを複合した暦法となっているのがカレンダー・ラウンドである。カレンダー・ラウンドにおける1周期の日数は、ツォルキンにおける周期の日数である260と、ハアブにおける周期の日数である365の最小公倍数に当たる18980日間である。この18980日はツォルキンにおける73年、ハアブにおける52年に相当する。
長期暦
カレンダー・ラウンドは18,980日、すなわち約52年ごとに循環し、人の一生に約1度繰り返す。歴史を正確に記す必要がある場合には、より洗練された方式で日付を記す必要がある。52年より長い期間にわたる日付を特定するために、メソアメリカでは長期暦が使用された。
マヤでは日をキン、20キンをウィナル、18ウィナルをトゥン、20トゥンをカトゥン、20カトゥンをバクトゥンと呼んだ。
金星暦(相術など)
メソアメリカで金星は太陽と月についで重要な天体だった。ドレスデン絵文書には「236 90 250 8」という4つの数字が載せられている。これを合計すると584になり、金星の会合周期(583.92日)を表していると考えられる。4つ数字があるのは金星が見えたり見えなくなったりすることを反映しているらしいが、この数字は現実と異なっている(実際には 263 50 263 8 くらいになる)。
この584日周期を5倍するとハアブの8年に一致し(365×8 = 584×5)、104年(カレンダー・ラウンドの2倍)で金星暦・ハアブ・ツォルキンのすべての周期がそろう。もちろんこの584日というのは近似値に過ぎないので、104年後に現実の金星の位置がまったく同じになるわけではない。
マヤ暦占い(その他)(相術など)
まずマヤ暦とは、古代マヤ文明で使用されていた、1年を260日周期と考える神聖暦(ツォルキン暦)のことです。その人が生まれた日から性格や宿命、運勢傾向、相性などを占う占星術が「マヤ暦占い」です。
KIN……?
マヤ暦では、1日の単位をKINと言い表し、人の誕生日をKIN1~260に割り当て鑑定していきます。KIN番号はその人がもって生まれた星と考えられています。
1つのKINは、『太陽の紋章』『ウェイブスペル』『銀河の音』の3つの要素で構成されています。そして、それぞれ意味やキーワードを持っています。この3つの要素を用いてあなたの性格や運命を詳細に知ることができます。
太陽の紋章とウェイブスペル
まず太陽の紋章とウェイブスペルは、260種類あるKIN番号から導き出される「表」と「裏」の側面を象徴する20種類の紋章です。太陽の紋章は人の表面を象徴する顕在意識、ウェイブスペルは裏面を象徴する潜在意識です。まず太陽の紋章とウェイブスペルを調べることで、その人が自覚している性質や周囲の人が向けている印象、自分ですら気づいていない無意識の領域まで深く読むことができるのです。
銀河の音
『銀河の音』は、1年を260日と考えるマヤ暦で、周期を表現したもので13種類あります。まず銀河の音は、宇宙から13種類のエネルギーが毎日1つずつ送られていると考えます。そしてその人が生まれた日に与えられたエネルギーを意味しています。言わば銀河の音は、その人が生まれた意味やテーマ、得意分野などを知る重要な鍵となります。
自分のKIN番号と紋章がわかれば、人との関係性や相性としてのKINを出せます。

血液型占い(その他)(相術など)
血液型占い(けつえきがたうらない)とは、ABO式血液型を属性とする日本独自の占いである。ただし科学的な根拠は全くない。西洋占星術や四柱推命と異なり、占い方が定まっていない。しかし占いとしては属性(A、B、O、AB)の数が少なく、短時間または少ないページですべての属性の解説ができる。このためかつてテレビ番組や雑誌の占いコーナーでよく用いられた。
民放テレビの情報番組等で放送されていたのは、一部の占いの結果を番組制作スタッフが独自の判断で創作していた。日々変化している運勢が血液型による影響を受ける理由について説明もないのが通例であった。
しかしBPO(放送倫理・番組向上機構)は2004年に、「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する」との声明を発表。これによりテレビで血液型占いは扱われなくなった。現在は宴会芸の一つに堕しており、手相術などの相術と比べても遊びとされている。

こっくりさん(その他)(相術など)
こっくりさん(狐狗狸さん)とは、西洋の「テーブル・ターニング(Table-turning)に起源を持つ占いの一種。机に乗せた人の手がひとりでに動く現象は心霊現象だと古くから信じられていた。科学的には意識に関係なく体が動くオートマティスムの一種と見られている。
「こっくりさん」と呼ばれるようになったものは、日本で19世紀末から流行したものだが、これは「ウィジャボード」という名前の製品が発売されたりした海外での流行と同時期で、外国船員を通して伝わったという話がある。西洋で流行した「テーブル・ターニング」とは、数人がテーブルを囲み、手を乗せる。やがてテーブルがひとりでに傾いたり、移動したりする。出席者の中の霊能力がある人を霊媒として介し、あの世の霊の意志が表明されると考えられた。また、霊の働きでアルファベットなどを記した板の文字を指差すことにより、霊との会話を行うという試みがなされた。
日本におけるこっくりさん
日本では通常、狐の霊を呼び出す行為(降霊術)と信じられており、そのため「狐狗狸さん」の字が当てられることがある。机の上に「はい、いいえ、鳥居、男、女、零〜九(できれば漢字で書いた方が良い)までの数字、五十音表」を記入した紙を置く。その紙の上に硬貨(主に五円硬貨もしくは十円硬貨)を置いて参加者全員の人差し指を添えていく。全員が力を抜いて「こっくりさん、こっくりさん、おいでください。」と呼びかけると硬貨が動く。こっくりさんと呼ばず“エンジェルさん”などと呼びかえるバリエーションも存在する。エンジェルさんの場合鳥居ではなくキューピッドを書く事で同じ効果があると言われている。
学校で禁止されたこっくりさん
1970年代には、つのだじろうの漫画『うしろの百太郎』でこっくりさんが紹介され、少年少女の間でブームになったことがある。子供たちが学校などで面白半分に行うケースが多発した。その時代を知る人々が「絶対にやらないように」と強く警告することも多かった。生徒への精神的な影響もあり、教師が保護者とともに厳重に注意する場合もあった。
韓国でもこっくりさんは分身娑婆(ブンシンサバ)と呼ばれ、主に子供の世代に浸透している。朝鮮半島は、日本の統治時代に日本で流行したのが、朝鮮に流入し始まったと見られる。台湾ではこれを「碟仙(ディエシェン)」と呼び、新聞の上に皿を乗せる形で行われる。
こっくりさんの解明
潜在意識・筋肉疲労説(相術など)))
参加者の潜在意識(予期意向)が反映され、無自覚に指が硬貨を動かすという説。ファラデーや井上円了、ミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールなどはこの説をとった。 森田正馬(森田療法で有名)は参加者が霊に憑依されたと自己暗示に罹るとの見方を示した。複数人に同様な症状がおきる感応精神病の発生もよく知られる。
参加者の誰かが意識的に動かしているという説(相術など)
この説がだいぶ有力であり説明もシンプルである。
オカルト説(相術など)
硬貨が動くのは狐の霊、死んだ子供の霊、または低級な自然霊などの憑依によるものという説。一番証明が難しい。

巨椋神社について
巨椋神社(おぐらじんじゃ)は、京都府宇治市小倉町寺内にある神社である。式内小社で、旧社格は村社。古代氏族巨椋連の氏神と考えられており、巨椋連が祖神を祀ったのに始まると言われる神社である。
社伝によると、嵯峨天皇の勅命により創祀されたというが、実際は古代氏族の巨椋連が祖神を祀ったことによる創祀と考えられる。巨椋連は『新撰姓氏録』神別に記載されている古代氏族である。平安末期に藤原氏の祀るところとなり、春日系の神社となり、近世まで春日神社と呼ばれた。境内社に子守神社 (宇治市)がある。もとは小倉町春日森にあったが、後に現在地に移建した。
子守神社
子どもを襲った三羽の大鷲を退治した惟喬親王が河内から帰る途中、小倉の地に神祠をつくった。以来、子どもの守り神、すなわち「子守神社」としてあがめられるにいたった。現在は、本社である巨椋神社が子守神社であるかのように認識されがちである。しかし子守神社は巨椋神社の境内社として別に存在している。

